我がフロンターレ応援履歴


私のフロンターレ応援歴(冒頭部分が主)を簡単に紹介します。
本文をご覧になればお分かりと思いますが、
フロンターレとの出会いは全くの偶然の賜物です。
いつの日かフロンターレに染まり、今に至っております。

大昔 小学校はラグビー、中学・高校はバレーボール少年でしたが、全く才能がなく、苦悩と挫折?の連続。
サッカーは、授業時間&昼休み時間にやった程度。
センタリングを上げ損なって、反れたボールがゴールに吸い込まれたのが、生涯唯一の得点。
'96年
頃から
ぼちぼちJリーグの試合を観戦するようになる。主な出没個所は平塚競技場。
中田(当時ベルマーレ平塚)選手の圧倒的なスピードに圧巻。
が、ベルマーレのサポータには結局ならず。ホームでは何故か勝てず、負けのオンパレードだったので・・・。
'98/10 仕事の帰り道、JR武蔵小杉駅の片隅で、とあるチラシを発見。
それはズバリ・・・「週刊川崎フロンターレ」
こんなとこにヴェルディ以外のサッカーチームが存在したとは・・・。予想外の事実に、ただ驚きを隠せない。
当初はチーム名すら覚えられず、「川崎トレンターレ」や「フロンターレ川崎」などとうろ覚えの日々が続く。
'98/11 博多の森での入れ替え戦、多くのフロンターレサポーターが悔し涙を流す。
が、私にとってはまるで無関心。「ああ、そうなの」程度の認識。
その後しばらく、頭の中から「フロンターレ」の文字は消え去る。

この頃までは、ヴェルディもフロンターレも同属のチームと勘違い。
今回想すると、表面だけで判断した自分が恥ずかしい・・・。
'99/04 Jリーグも開幕、この年からは2部制に。
何気なくフロンターレのことが気になり、FC東京戦に出向く。

初めて足を踏み入れた等々力競技場・・・場内の雰囲気は最悪そのもの。
東京サポーターの異様な挑発に、開幕3連敗の鬱憤がたまった、一部フロンターレサポータが激しく応戦。
周囲には一触即発のムードが充満。余りの空気の悪さに、早くも嫌気が差してしまう。
おまけに電光掲示板を見ると、知らない選手のオンパレード。異次元の世界に遭遇した錯覚を覚えてしまう。
電光掲示板
これは'99年9月のものだが、この頃のメンバーもこんな感じ。
J1しか知らなかった私にとって、まるで異質の世界であった。


それでも、試合を観戦。結果はフロンターレが土壇場に追い付き同点で終了。
まあ、次も来ようかな、程度に思いながら家路に向かう。
もしこの試合で、フロンターレが負けていたら、今は横浜FCサポーターと化していたでしょう。
'99/05 ・・・なんて思つつ、日曜日には等々力へちょこちょこ顔を出すようになる。
この頃はビール片手に、メインスタンド片隅で観戦。
そして西が丘のFC東京戦へ。東京サポーターのヤマタノオロチのような奇妙な動きに、ただ唖然。
試合は緊迫した戦い。フロンターレの素晴らしい勝利と、負けても熱狂的な東京のサポーターに感動。
J2の魅力に取り付かれるようになる。
'99/06 レベルは今ひとつながらも、直向にプレーするフロンターレに、徐々にのめり込みはじめる。
観戦場所も、ゴールネット裏に移動。
この頃はピッチに浦上選手が現れると、大声で名前を叫ぶ。
すると必ず手を振ってくれる。
試合の方は、久野選手のフリーキックが、札幌のゴールを突き破る・・・
うーん感動。
'99/07 ホームページを作成。当初友人の車紹介が目的だったが、それじゃ寂しいので、サッカーの観戦記を作ることに。
はじめは簡単なコメント程度。だが徐々にエスカレートし、デジカメを構え、ノート片手に観戦する日々が。
内容は未だ素人丸出し。恥ずかしい・・・。
'99/08
Part1
35万画素のデジカメに限界を感じ、ボーナスの残金を叩いて、現在のデジカメを購入。
真っ先に撮影したもの・・・それはもちろんふろん太君!
ふろん太君
そしてフロンターレのレプリカも購入。試合には必ず着用するようになる。
'99/08
Part2
フロンターレ熱は留まらず、遂には試合以外のイベントに参加。

会社を休んで出かけた、25日の富士通サマーフェスティバル。
選手と一緒にリフティングが出来るということで、早速エントリー。
目の前には・・・紛れも無いJリーグの選手が!!
上村選手が声を掛けてくる・・・、余りの感激に声も出ない。
思い切ってサインをねだると、快く応じてくれるでは!!!
スポーツ選手から初めて貰ったサイン。この感動は一生忘れません。

そして29日、横浜FCの総会もすっぽかし、対モンテディオ山形戦へ。
雷雨が降りしきる中、一人少なくなったフロンターレ。
GK笹原選手の必死の守りで、山形の猛攻を防ぐ。
そしてロスタイム・・・ティンガ選手のドリブル独走から、森川選手が決勝点を叩き込む!!!
おおおおおーーーー豪雨の中、絶叫がこだまする。
'99/09 気持ちは既にフロンターレ一色。他のチームの試合も見るものの、頭の中は常にフロンターレが支配する。
そして西が丘の東京戦。延長に入り、ティンガ選手の足をつりながらのプレーに、涙声のサポーターと共に大声で声援。
迎えた10日の対コンサドーレ札幌戦。金曜日という悪条件の中、F士社員の尽力により?1万人キャンペーンも見事成功。
試合も快勝。ますますフロンターレにのめり込む。
ティンガ選手1999年9月5日 西が丘のFC東京戦にて

サッカーの試合は、必ず近場にと決めていましたが、その不文律が崩れる時が到来。
遂に韮崎での甲府戦へと出撃。競技場への道に迷いながらも、甲州街道脇のぶどう園のおじさんに助けられ、車で送ってもらい、人の温かさにふれる。
甲府盆地特有の熱気に苦しみながらも、試合は勝利。
これをきっかけに、アウェイも積極的に行くことを決意する。
甲府盆地
甲府盆地にて。今までは遠出などまったくしなかったが、この頃から積極的に遠征へ。
内向的な私を変えてくれたのが、フロンターレであった。
'99/10
Part1
9月に9試合も観戦した疲れが蓄積し、ついにダウン。数日間寝込む羽目に。
おかげで長野の試合は、行けずじまいでした。

復活した10月半ば、フロンターレは遥か山形でのアウェイ戦。
さすがに山形は無理と考え、平塚での横浜FC戦を見るつもりで家を出発。
・・・ふと気が付くと、秋にしては寒すぎる場所に立っている。
周囲を見渡すと・・・や山形じゃないか〜〜〜!!
山形駅こんなきっかけが、山形の初訪問。
試合開始前のエール交換。山々に向かい、ひとり「やまがたぁ−」と絶叫する。
劣悪なグランドコンディションの中、試合も快勝。
競技場脇のバス付近で待っていると・・・か、監督が登場だ〜〜〜
サインをねだるだけじゃなくて、監督の肩に手を伸ばし、地元の高校生に「これがうちの松本監督だ!!!」と自慢する始末である。
'99/10
Part2
24日のFC東京戦、東京が先制するものの、鮮やかな逆転勝利。
観客数も最多の13,812人。J1昇格まであと一歩だ!!

もしかして、もしかしたら・・・札幌の地でJ1昇格を果たしてしまうかも知れない。
思い立った私は、飛行機(15年ぶりに乗りました)で札幌に突撃。一路厚別へ乗り込む。
始めはおとなしく観戦する予定でしたが、誘いに乗り初めて応援団の輪に加わることとなりました。
試合は札幌の粘りに苦しみながらも、劇的な勝利。J1昇格までもう僅かだ!!!
厚別にて
'99/11 J1昇格まで勝ち点はあとひとつ。5日のホーム戦、相手は分が悪いサガン鳥栖。
相手が誰だろうと、絶対にこの日で決める!!

相手の厳しい守備に阻まれながらも、後半オウンゴールで先制。
その直後同点に追いつかれるものの、選手&サポーターも決して諦めない。
もつれにもつれた延長後半、待ちに待ったその瞬間が。
浦田選手のVゴールで、念願のJ1昇格を果たす。
WOWOWOWOWOWO・・・松本監督の胴上げと、等々力の夜を染める花火が宴を演出する。
等々力の夜を染める花火
'99/12 リーグ戦も終え、残すは天皇杯のみ。
昨年までなら、絶対に顔を出さなかった訳ですが、2回戦から観戦。
そして公式戦初の川崎ダービーマッチ。場所は香川の丸亀!
何故丸亀でヴェルディと対決なんだ。おかしい、おかしすぎるぞ。でも行ってやる。
強い北風が吹き付け、小雪が舞うほどの寒さの中、試合は惜敗。
試合に負けたのは悔しいが、不思議に満たされた気分になる。
ここまで追いかけて、後悔は微塵もない。
丸亀にて
だが、負けた悔しさより満足度が上回ったのも事実。
まだまだ勝負に対する意気込みが劣ってた。
'00/01 年が明けてもフロンターレ三昧。中西選手のトークショーへ出没。
奥の深い話題に感銘を覚えながら、中西選手使用グッズのオークションへ。
瞬く間にオークションは展開する。そして目玉の’99年度キャプテンマークへ。
正気に戻ると・・・キャプテンマークを落札し、体が震えまくった私がいました。
キャプテンマーク
'00/03 迎えたJ1初戦、博多の森での開幕戦。寒さと雨の中、連携不足に泣き、試合は惨敗。
小雨が降りしきる中、悲しみに打ち浸されて博多の森を後にする。
・・・なんていいながら、地元の方と大騒ぎ。
博多の森
'00/04 フロンターレ悪夢の3連敗。連敗街道の出口は見出せず。
遂に中西選手が坊主に。ここまで追い込ませた一介の責任は私にもある!
試合は神戸戦、三宮に到着するや、私も丸刈りに変身。
その甲斐あってか、J1初勝利。坊主になって悔いなし。
自ら坊主になる
ちなみに現在では、自分で頭を刈っています(笑)。
フロンターレのJ1残留が決定的になるまで、坊主は継続します。
・・・つもりでしたが、未だ坊主頭です。いずれはげるでしょうし、もはや元に戻す予定はありません。
'00/05 ホームゲーム当日。極度の体調不良と発熱で、寝込んでしまう。
この日ばかりは観戦不能と観念、絶対安静の筈が、気が付くと等々力競技場へ向かってしまった。

相手は名古屋。大人しく座って観戦するつもりが、サポーターの少なさに一大奮起。
体に鞭を打ち、全力で応援。試合は延長に縺れこみ、最後は体中けいれんで震えながら応援していました。
体中F病ウイルスに蔓延。この病気は一生治りません。
(その後ひと月余り、体調はぼろぼろ。よく死ななかったものだ・・・)。
'00/07 海の日、初めて麻生グラウンドで選手の練習見学へ。
駅から道に迷い、2時間以上路頭に迷った挙句、汗だくで練習場へ到着。
郊外の閑静な練習場、選手達もさぞ練習に専念できる事でしょう。
麻生グラウンドここに到着するのに、えらく道に迷った。
'00/09 ナビスコ杯も見事決勝進出。相手は強敵鹿島だ。
勝つぞ!意地でも勝つ!!。もう優勝だけだ〜。

(続きは後日・・・のつもりだが、2年の空白。)
'02/06 念願の川崎移籍(要は引越し)を果たす。
川崎市民を遂げた今、多摩区に居住。
南武線103系 川崎市民らしく?毎朝南武線で通勤中。
'03〜'04 むちゃくちゃ多忙であったが、応援は絶やさなかった。
何度と徹夜明けで新幹線or飛行機に飛び乗り、アウェイの応援に出掛けたことか・・・。
満身創痍でのサポーター生活、何とか生き抜いて今に至る。
'05/01 祝!2度目のJ1昇格で新年を迎える。
今度こそ絶対に定着だ!!
J1昇格の瞬間
2004年9月26日、J1昇格の瞬間。この感動を胸に、J1の舞台へ・・・。
'06 リーグ戦2位、いい一年でありました。
個人的には超望遠レンズをゲット。カメラマンの仲間入りか??
巨大レンズ 緑はちまきの EF 400mm F4 DO IS USM


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