あれこれ書くと大袈裟になるので、長々と記述します(笑)。

高校時代、根暗少年だった私は、機械ものに関心があった影響で、突如オーディオの世界にのめり込む。
今までためたお年玉でオーディオ機器一式を一気に揃え、オーディオに没頭する日々。
単体のアンプ・CDプレイヤー・カセットデッキなど・・・一品一品のモノとしての素晴らしさに、ラジカセと対比不能な感動を覚えたことは、今なお記憶に新しい。

はじめは海外のポピュラーを主に聴いていたのですが、妙なインテリ心が働き、クラシック・・・特に交響曲の壮大さにのめり込むようになる。
出だしは定番のモーツァルト・ベートーヴェン。ところが憂鬱な高校生活が、徐々に私の心を蝕んでゆく。
その影響か、レパートリーは段々と暗めとなり、シューマン・ドヴォルザーク・チャイコフスキー・・・そして最後にたどり着いたのはショスタコーヴィチ。
旧ソ連の時世を反映したかの雰囲気は、聴く者を絶望の淵に落し入れ、また不思議と勇気付づける。
そして短い高校生活は、暗い世界の中終息を迎えたのでした。
やがてコンピュータにはまり込むにつれ、オーディオの世界からは静かに去っていったのでした。

冒頭の文章はともかく、飯よりもオーディオとクラシックに夢中であった私は、小遣いやアルバイト代が手に入るや否や、秋葉原に出かけ、オーディオグッズ(ケーブルやインシュレーターなど)と輸入版CDを買い漁る日々でした。
更にはオーディオ雑誌(主にstereo:音楽之友社出版)を読みふけたものです。
あのころのオーディオ評論家は懐かしい。入江順一郎氏や長岡鉄男氏は健在なようで何よりです。

スタックスのイヤースピーカーの出会いは、あのころ(あれこれ10年位は経ちます)読んだオーディオ雑誌の広告から始まります。
独自のネーミングと高貴な宣伝文句に興味を引かれた私は、秋葉原にある石丸電気の視聴コーナーに赴き、早速手にしてみる。
パッドを耳に当て、そこから流れ出る響きが耳に入った瞬間・・・広がる別次元の音色の世界に瞬く間に魅了されたのは今でも鮮烈に覚えています。

それだけ優れたイヤースピーカー。だが、そのとき手にすることはありませんでした。
何故か、それは次に挙げる問題点(と偏見)があったためです。

要は音以前の問題として、商品としての完成度があまりにも貧弱だったので、購入に至ることはありませんでした。
やがて月日が流れ・・・冒頭にあるようにオーディオの世界から足を洗うこととなるのです。

やがて社会人となった私ですが、あい変わらずパソコンいじりにはまり続け、オーディオなど完全に忘れ去られる。
高校時代を共に過ごしたオーディオ機器は、部屋の片隅に追いやられ、見向きもしない日々が数年続きました。

ところがふとしたきっかけで、音楽の世界に興味を取り戻す。
日本テレビの人気番組「雷波少年」の崖っぷちバンド企画
※注を何気なく見ていた私は、徐々にSomething ELseの音楽に懸ける情熱に興味を引かれるようになる。
マンションの一室に閉じ込められ、極度の閉塞状態の中、名曲(だと私は今でも思う)ラスト チャンスが生まれるまでのプロセスに、思わず魅了されてしまう。
(やらせっぽい感じも多少はありますが、電波少年に比べて番組そのものの姿勢がこちらの方が真摯だと思う)。
そしてCD発売日、彼らに何としても音楽活動を続けて欲しいと思い立った私は、数年ぶりにCDショップに赴き、極度の品薄下、何とか一枚のCDを手にすることとなる。
あの時は本当に凄かった。渋谷中の店舗からは「ラスト チャンス」のCDが一瞬にして姿を消し、棚の前を「ラストチャンス・・・」とぶつぶつ小声で通りすぎる人の数は半端ではなかった・・・。

久しぶりにCDを眺めているうちに、オーディオに対する愛着心が徐々に沸き戻る。
機器も古いことだし、この際思い切って入れ替えをしよう。
またまた思い立ち、秋葉原に向う。

いつもの石丸電気。しばらくオーディオから離れていたためか、視聴コーナーを目の当たりにして、スピーカーの数の多さに圧倒され、頭を抱え込む。
こんなに多いとどこから手をつけたらよいのか、迷いばかりよぎる。
そんな時、目をふと脇にそらすと、あのイヤースピーカーの姿が。
懐かしいなと思いながら、頭に装着する。

そこで手にしたイヤースピーカーは、音の磨きが更に洗練され、ものとしての欠点が大幅に少なくなった姿でした。
これはいける。ヘッドフォンなので周囲にも迷惑がかからず、安心して音楽に集中できる。
即座にCLASSIC Systemを購入。そのときからイヤースピーカーとの付き合いがスタートを切ったのでした。


※注:日本テレビで放送している雷波少年という番組で、で1998年9月〜12月にかけて放送された。
今までヒット曲がなかった「Something ELse」という3人組の男性バンドがショッカー?に拉致され、マンションの一室に連れてこられる。
そこで番組のプロデューサーに「この部屋で3ヶ月以内に最高の曲を書き、それを最後のシングルとして売り出す。
オリコンで初登場20位以内ならバンド続行。さもなければ解散し、音楽業界以外に転職。」という厳しいルールで、密室の中、一歩も外に出れず様々な葛藤と闘いながら「ラスト チャンス」を生み出した。
それは、見事オリコン初登場2位となり、晴れてバンド活動続行と同時に、彼らは一躍有名となった。
最近では、彼らの話題も耳にしない。ただの一発屋で終焉したのだろうか・・・。



ラスト チャンス



Something ELse ラスト チャンス
TODT-5235 (P) 1998 TOSHIBA EMI




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