加古川線 〜 去りし懐かしき日々

加古川線は兵庫県を南北に横断、加古川〜谷川間を運行する全長48.5Kmのローカル線です。
自動車社会の到来により、利用者数が年々減少の加古川線も、
阪神・淡路大震災では、被災路線の迂回ルートとしての重要性が見直され
官民共同により資金が投入され、2004年12月19日に電化されました。
撮影当時はキハ40/47が運行中ですが、電化後は103系/125系の投入により
現在ではキハ40/47が加古川線から姿を消しました。
非電化最後の加古川線。つたない写真ですがごゆるりとお楽しみください。

撮影日:2004年10月16日

写真1
加古川駅の地上ホーム、キハ47がお揃いで停車中。
加古川線のぶらり旅は、ここからスタートです。
写真2
車窓の風景より、車内の光景が気になってしまう(笑)。
ここ加古川線も大半のローカル線にならい、合理化によるワンマン化。
古き空間に真新しい料金箱が、何とも不思議な組み合わせ。
写真3
列車はゆっくりと北上し、厄神駅へ到着。この先に進むべく、次の列車を待ちます。
ここでもキハ47がお揃いです。
写真4
ふと、前方から真新しい車両が登場。
ここ加古川線は今年の12月19日に、電化運転を開始予定。
写真の125系は最新鋭の単行向け車両。現在試運転を繰り返しています。
(ただし、先行投入さえた小海線>小浜線の誤り(スマヘン)では、
「座席数が少ない」等と不評な模様。)
写真5
車両基地から、夕焼け色のキハ40が登場。
正午を過ぎると乗客数も減少するのか、2両編成のキハ47のピンチヒッター。
写真6
予定を変更し、厄神駅で途中下車。沿線をのんびり徒歩の旅。
しばらくすると、汽笛の音にあわせキハ47が姿を現しました。
写真7
先に車両基地を出発したキハ40も、加古川から戻ってきました。
加古川線は加古川〜厄神間は、比較的列車の運行間隔が短く
キハ40/47と頻繁に出会えます。
写真8
たわわに実った柿の木を横目に、キハ47が元気に疾走。
秋の風が柔らかく、加古川線の沿線に流れます。
写真9
厄神駅より北に歩くと、広大な加古川にぶつかります。
眼前の鉄橋にも架線が張られ、沿線住民が待ち焦がれた電化も間もなくです。
写真10
でも、やっぱりローカル線にはキハがお似合い。
鉄橋を渡るキハ40/47の姿を見れるのも、あと僅かな期間です。
写真11
厄神から先は、日中は1時間に1本の間隔。
しばらく待ち続けていると、時刻表に無い時間帯に遮断機の音が。
急いで鉄橋を見渡すと、試運転中の125系が再び登場。
念入りに走行チェックにいそしんでいます。
写真12
やはり、本音ではボロくともキハ40が似合う。
徐々に傾きつつある日差しが、キハ40の側面を包みます。
写真13
厄神駅に戻り、西脇市方向へと出発します。
隣に並んでいるのは三木鉄道の車両。
加古川線とほぼ同時期に開通し、国鉄時代を共に過ごした、いわば「兄弟路線」。
JR西日本に引き継がれた加古川線に対し、廃線と隣り合わせの運命を辿るも、
第三セクターとして生まれ変わり、現在に至る。
写真14
斜陽の田園地帯を走り、列車は西脇市駅に到着。
加古川線沿線において、中核駅を担うこの駅を境に、この先の列車は運行本数が激減。
写真15
加古川方面へ出発を待つ、キハ47。
夕日を正面に浴びた姿は、非電化最後の残された時間、
最後までその役を担う気概が伝わってきます。
写真16
混色編成のキハ47が、黒鉛を上げながら加古川方向に旅立ちます。
夕暮れと共に、加古川線の旅も終焉に近づきます。
写真17
夕闇を間近にし、谷川方面からキハ40がやってきました。
この日最後の乗車の時が、刻一刻と迫ります。
写真18
呆れる程古く、激しい騒音と振動、車内はところによっては異臭も漂う。
けれども、不思議と郷愁を抱かせるキハ40。
沿線住民の気持ちをすれば、電化が望ましいのは語るまでもありません。
時代の必然とは言え、去りし気動車を惜しむのは私だけでしょうか。
写真19
10名にも満たない乗客を乗せ、キハ40が出発。
暗黒の集落を蛇行し、徐行区間を黙々と先に進む。
乗客は誰一人乗車・下車することも無く、沈黙と共に終点の谷川駅に到着。
写真20
夕闇に包まれるキハ40に別れを告げる。
長きに活躍した、加古川線のキハ40/47。
引退を惜しみつつ電化を祝いながら、加古川線の旅は幕を閉じました。

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