鶴見線 〜昭和の面影が残る街〜 

撮影日:2004年6月13日〜2005年1月15日

写真1
日本の工業の大動脈、京浜工業地帯。
横浜〜川崎の臨海地帯に、労働者の足となる路線が存在します。
写真2
物陰から、黄色い電車が登場。高度成長期から今なお走り続ける103系。
工業地帯を力走する鶴見線の旅、浜川崎付近からスタートです。
写真3
扇町から折り返し、人影の無い昭和駅に到着する103系。
週末には労働者の姿もまばら、もの寂しげな雰囲気が漂います。
写真4
国道駅を出発し、鶴見駅へ向け出発する103系。
殺風景な中、黄色い車体はひときわ目立ちます。
写真5
平日朝の鶴見駅、古びた左右のホームに並ぶ103系の姿。
21世紀への時の流れを拒絶するかの如く、昭和の面影が頑なに残ります。
写真6
鶴見駅から出発間近の103系を遠方からとらえます。
通勤客の交通手段として、今日も工業地帯を往復します。
写真7
浅野駅を出発、柔らかな朝日と潮風を受け、海芝浦方面に進む103系。
写真8
こちらは大川駅に停車中の103系。
大川支線は朝と晩の通勤時間帯に、数本の運行があるのみです。
写真9
工業地帯の灯火が尽きぬ限り、鶴見線の使命は続きます。
豪雨の中、水しぶきを立てながら疾走する103系(浅野駅付近)。
写真10
吹雪の中、鶴見駅へ向け走り出す103系(鶴見小野駅)。
凍りつく寒さの中、黄色い車体が銀世界へと消えてゆきます。
写真11
首都圏では唯一103系の牙城であった鶴見線にも、時代の波が押し寄せます。
2004年初秋から205系の前面改造車が投入(鶴見小野駅付近)。
やがては103系は追いやられ、全車入れ替わる運命を辿るのです。
写真12
鶴見駅でも、新旧の車両が並ぶ場面が多くなりました。
205系の車体の青帯は、工業地帯の海をイメージしたものだそうです。
写真13
でも、鶴見線にはなつかしの103系が似合います。
写真は国道付近の鉄橋を渡る103系。
「05M」の幕の下にある数字と、頭文字の「T」を組み合わせたものが編成番号。
このT1編成は最も活躍が目立つ103系。
画像14
国道駅上りホームに設置された巨大ミラー。
一風変わったアングルから、103系の全景をとらえてみます。
写真15
ここで、車窓の光景を1枚交えます。
写真は扇町直前の沿線。終着駅に近づくにつれ、
貨物車両が延々と列をなします。
写真24
貨物列車の隙間をぬい、扇町に到着。
駅の周囲には巨大工場が林立、人家はまばらに点在する程度。
ふと、最果ての地に到達したかの錯覚に浸ります。
写真16
沿線でもっともポピュラーな撮影ポイント、浅野駅の分岐地点より。
週末になると鉄道ファンがカメラを構える姿が、一般乗客よりも多かったりします。
写真17
こちらも終着点の一つ、海芝浦駅構内より。
ホームの真下には広大な太平洋、まさに海辺の駅。
画像18
海芝浦駅は、東芝の敷地内に位置します。
駅ホームの先は東芝京浜事業所の入口があり、
一般客の立ち入りは禁止されています。
写真19
駅ホームの先には、こじんまりとした公園がたたずんでいます。
海芝公園と名づけられ、東芝の好意により開園されています。
写真20
鶴見線のマニアになると、この姿を懸命に追い求めます。
一見すると変哲も無い1枚ですが、左の方向幕の「臨」に着目。
これは不定期に運行される臨時列車(通称:東芝臨)の編成(武蔵白石駅)。
写真21
こちらは臨時列車が交錯するシーン(浅野駅)。
103系同士の臨時が交わる場面。かつては平凡な光景も、
103系の引退が迫る今、貴重な光景になりつつあります。
画像22
闇夜の中、駅ホームへと滑り込む103系(浅野駅付近)。
週末の夜間ともなると、人影は殆どなくなりますが、
昭和の面影がさらに強調、過去への郷愁を思わせます。
写真23
今日も、鶴見線は工業地帯に向けて出発します。
懐かしき昭和の風景を辿りながら、潮風を受け走り続けます。

・・・でしたが、鶴見線の103系は全廃し、205系に統一されました。

鶴見線の路線図

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